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2019.05.29 音名と階名2

 階名唱は音を階名で歌うことを指すのですが、その説明の前にまず「音名」と「階名」が具体的にどのような「音」を表すのかを明らかにしておきましょう。
 「音名」とは「絶対的な音の高さを示すための名称」であり、「階名」とは「相対的な音の高さを示すための名称」です。「絶対」と「相対」の対比は音感にも使われます。前回出た「絶対音感」と「相対音感」です。
 前回の記事でも少し触れましたが「絶対音感」は他の音を参照せずとも音の絶対的な高さがわかる音感のことを指し、「相対音感」は基準音と与えられた音の差がわかる音感のことを指します。
 

 こうして比較すると、基準音を必要とせずに具体的な音の高さがわかる絶対音感は大変便利な能力のように見えますし、実際に役立つ場面が多いことは疑いようのないことです。ですが「絶対音感で音楽が認識出来るか」と問われれば、それはまた別の話になります。なぜなら音楽というものは一音だけでは成立しないから。ひとつの音楽を成立させるためには複数の音の集まりが必要であり、その音の集まりを音楽として認識するためには、それら複数の音の間に繋がりを感じる必要があります。私たちが「音楽を聴く」ときに「音と音の間に繋がりを感じる」のは絶対音感ではなく相対音感の力なのです。
「音楽を聴く」ということに限らず、「音楽を奏でる」ときにも相対音感は重要な働きを持ちます。音程の良し悪しは絶対的な音の高さで決まるものではなく、「関連しあう音の高さの差が心地よい幅であるかどうか」が鍵となるからです。音程は生き物のようなもので、たとえ慣れ親しんだ曲であったとしても状況に応じて微妙に変化が生じますので、常に音の幅は意識される必要があります。わずかな狂いも見逃さない絶対音感は相対音感の代わりになるかもしれませんが、前回の記事で触れた通り、絶対音感はある程度の年齢を過ぎると身につけられませんし、鍛えることも出来ません。また、絶対的な音程の認識を常としているほど、周りの音ではなく自分の頭の中に存在する基準音と比較して音程を取るため、相対音感は弱っていく傾向があります。音同士を比べない絶対的な音の高さの認識は音幅に対する感覚が薄くなりますので、結果として音程の甘さに繋がることになります。逆に言えば、音程の甘くなってしまう人は、相対音感を意識することで改善する可能性があると言えます。
 さて、そんな相対音感ですが、もちろん楽器を習ったり歌ったりすることで少しずつ鍛えられていきます。ただ、相対音感を意識した練習をするかしないかで、その効果は全然違ってきますし、特に絶対的な音程の意識が強くなればなるほど、相対音感は弱くなる傾向があります。カラオケで原曲通りの調性ならきちんと歌えるのに、調性を上げ下げすると全く音程がわからず音痴になってしまう人は、絶対的な音の高さに頼りすぎていると言えるでしょう。
 では、階名唱を使うとどうして相対音感が鍛えられるのでしょうか。というのはまた次のお話。