home > books > 筆不精

records


2022.08.20 written by Kikawa 筆不精

「 筆不精 」

すっかりな筆不精です。
演奏会のお知らせをしたきり、すっかりそのままだったのでちょっと振り返り。

・Spring Concert

赤いピアノが印象的な、東久留米市役所。

おそらく人前で歌うようになったのは小学4年生か5年生くらいからだったと思いますが、そこから考えてもこんなに舞台に立たない期間が長いのは初めて。
職業演奏家ではありませんが、「歌う」という行為は私にとって切り離せないものだな、と思い至る舞台でした。
日本歌曲とフランス歌曲、そしてオペラということで、私にとっても美味しいとこどりでした。

私は日本人ですし、やはり日本語という言語はとても美しい言語だと感じます。
機微が豊かで、母音がきちんと存在感を放つ言語。それでいて子音にも細やかなニュアンスを含ませられます。
いろいろな言語を学ぶ、その全てが日本語で歌うことに返ってくるような印象があるのは、すごく面白いです。
単に私が日本人だからというだけかもしれませんが。笑

そしてフランスの作品、今回はフォーレの歌曲でしたが、これもお気に入りです。
日本人、フランス音楽好きだと思うんですよね。ピアノ学習者にもドビュッシーとかラヴェルとか人気があると思いますし。
和声が醸し出すなんとも言えぬ香りともいいましょうか、同じロマン派と括ってもやはりドイツやイタリアの音楽とは異なる色合いがありますね。

共演した皆様も、本当に素晴らしい演奏でしたので、お客さまにもきっとお楽しみいただけたことと思います。


・MUSICAとりっぷる 〜イタリア編〜

こちらは同期と一緒に企画した演奏会。
この歳になっても一緒に何かが出来る、というのはありがたいこと。
そして、みんな本当に素晴らしい音楽家。一緒に音楽を奏でられることを幸せに思います。

私は前半にレスピーギ作曲の『森の神々』という歌曲集から抜粋して3曲を演奏しました。
声楽の勉強を始めると最初に手にするイタリア歌曲集をはじめとした古典〜ロマン派あたりの作品群は、
手を替え品を替え、よくもまあこれだけ恋愛ばっかり歌うな、と思う人は多いかと思いますが、笑
この『森の神々』という作品は少し毛色が違い、宗教的・哲学的内容を多分に含んでいます。安直に、『難解』と言える作品かもしれません。

古い価値観が新しい価値観によって覆い尽くされること。
これはいつの時代も、どんな分野においても起こりうることです。

キリスト教圏に住んでいるわけでもなければ西洋人でもない私にとっては、この作品をきちんと理解した!と言える日は来ないかもしれませんが、私なりに考えることの多い作品でした。
いずれ抜粋せずに全曲演奏出来れば良いな、と思い、その日まで温めておこうと思います。

後半の最初には歌劇『愛の妙薬』から、「人知れぬ涙」を。
テノールなら誰もが通り、そして誰もが挫折する曲です!と紹介させてもらいましたが、笑
今回演奏するにあたり、「ネモリーノというキャラクターは一体どこまでデフォルメされうるのだろうか、、」なんてことを考えていました。

現実に考えたら、よく言えば純真悪く言えばバカなんですよねネモリーノ。
物の価値もよくわかっておらず、ただのワインを惚れ薬だと信じて、凄まじい高値で2回も買い、それで「彼女が自分に恋をしているんだ!もう死んでもいい!」と盛り上がってしまうわけです。
このシーンが真面目であればあるほど、これまでとのギャップが面白い人物像になるわけで。そしてだからこそのオペラブッファ。
ただそれをアリア1曲演奏するだけでどう捉えれば良いのだろうか。おお、アリア1曲歌うってキャラクター作るのすごい難しいじゃん…。
という感じで、もやもやといろいろ考えていました。

この曲自体久々に歌いましたが、新しい気づきというか、気回しをたくさんする機会となりました。
同じ歌を歌っても、歌うたびに新しい学びがありますね。面白いです。

アンコールには「黒猫のタンゴ」を。
満席のお客様にお越しいただき、とても幸せな旗揚げとなりました。

MUSICAとりっぷるは今後も年1回くらいのペースで演奏会を企画する予定です。
次回のホールも奇跡的に取れて、日程も決まりましたので、準備が出来たらまたお知らせを出したいと思います。

ふう、ちゃんと振り返ったのでこれらの演奏会はおしまいです。
また次の演奏の機会へ向けて、気合を入れます!

records


2022.04.18 written by Kikawa 演奏会のお知らせ

「 演奏会のお知らせ 」

もう4月。本当に時間が経つのが早いです。
コロナ禍で演奏活動を自粛しておりましたが、このままだと本当に歌う機会がなくなってしまいそうなので、ちょっと踏ん張ることに決めました。
より感染予防を心がける毎日です。。


・Spring Concert

2022年4月24日(日)
17時開演
東久留米市役所1階 市民プラザ 屋内ひろば


(画像を押すと拡大します)

恩師、穂積磨矢子先生にお声がけいただきました。
元々1時間くらいのプログラムで、ということでお話をいただいた気がしたのですが、結局1時間どころじゃ済まなそうなボリュームです。
私は山田耕筰の「鐘が鳴ります」と、別宮貞雄の「さくら横ちょう」、それから、G.フォーレの「夢のあとに」と「ゆりかご」を歌います。
あと、プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』から第一幕のアリアと重唱を、ソプラノの太田絢子さんと演奏いたします。

先日5年ぶりに(!)お会いして、合わせをしました。
最後に会った時はまだ太田さんは受験生だったのですが、今や立派な大学院生ということで、月日の経つのはまっこと恐ろしいものであります。

コロナ禍ということもあり、ソロが中心の演奏会です。
入場無料で、お申し込みの必要もありません。
途中での入退場も可能な広場での演奏となります。
どうぞお気軽に足をお運びください。



・MUSICAとりっぷる 〜イタリア編〜

2022年7月10日(日)
加賀町ホール
(大江戸線牛込柳町駅より徒歩5分)
全席自由3,000円
(最大80席予定。感染状況により減席の可能性あり)


(画像を押すと拡大します)

ひょんなことから大学の同期で演奏会をすることにしました。
今回一緒に舞台に立つテノールの紀野とは仕事やら研究テーマやら共通するものが多く、ちょくちょく連絡をとっているのですが、随分と前のコロナが下火だった時期に食事に行き、「演奏しようぜ!」ということで企画を決め、その場にいた小林くんを巻き込み立ち上げました。その時は「さすがにもう来年の夏ならコロナも大丈夫でしょ」みたいな話だった気がしますが…。もう全く予想がつきません。

Trip(旅行)する様に、世界中のいろいろな音楽を演奏したいね、ということでMUSICAとりっぷる。
そして、せっかくならそれぞれの国ごとにプロフェッショナルを招こうじゃないか、ということで、イタリアで修行を積んだメゾソプラノの藤田さんにも出演を打診した結果、このような布陣と相成り、〜イタリア編〜とサブタイトルがついたのであります。
予定なら1年に1回、ドイツ編やらフランス編やら、向こう6年くらい継続する予定です。本当に出来るかな。笑

同期だから、という贔屓目をおいても、皆本当に素晴らしい演奏家です。
ぜひ足をお運びください。

お申し込みはこちらから。

records


2022.01.23 written by Kikawa 2022年になって

「 2022年になって 」

この前に書いたつぶやきが、2020年の終わり。
一昨年の年末に悩まされていたことが、今でも悩みのタネであるとは、何とも悲しいものです。

このままの勢いで感染者数が増えていくと、来週にはコロナ前のインフルエンザ並の感染者数になるんだとか。
そんなに感染していたのか、インフルエンザ、とそちらもびっくりです。

体調崩すと、練習も出来ないわ声の調子も狂うわで後がすごく大変です。
なので、私、冬場は元々いつもマスクをして、手洗いうがいをしっかりしています。
ここ10年ちょっとはインフルエンザにはかかっていません。対策半分、運半分というところでしょうか。
この2年は気合を入れた防疫活動のお陰で、副反応以外で熱すら出ませんでした。

それでもインフルエンザにかかるよりは、コロナの方が怖い。
というのは、体調面(特に呼吸器にダメージは勘弁願いたい)もそうですが、社会的な影響も考えてしまうからでしょうね。あるいは、特効薬がないのも大きいでしょうか。

今年は演奏の機会をバシバシと作るつもりですが、こう感染者が増えていくとやはり不安です。
気兼ねなく人に会って、気兼ねなく歌える日が早く来てほしいなあ、と切に願います。

あけましておめでとうございました。もう2月になっちゃいますね。

records


2020.12.31 written by Kikawa 2020→2021

「 2020→2021 」

2020年が終わります。
あまりにもイレギュラー過ぎて、この1年が長かったのか短かったのかよくわかりません……。
実際に走っている間はとても長かったですが、年末恒例の「一年を振り返るテレビ番組」を観ると一瞬で過ぎ去ってしまったような感覚になりました。純粋に歳とっただけかもしれません。

感染症というものに対して、特に歌唱というものがこんなにも敏感にならなければならないものだと、これまで夢にも思ったことはありませんでした。
今年は年の初めに予定していた演奏会がすべてキャンセルに。
mu-shipとしても演奏の機会を窺い続けてはいましたが、感染者数の増減に怯えつつ、延期したり中止したり、そうこうしているうちに気がつけばもう大晦日。
思えば歌い始めてから、1年間人前で演奏する機会がなかったことはこれまでありませんでした。

今年1年を振り返ると、オンラインで出来ることがたくさん増えたように思います。
授業もしましたし、レッスンもしました。自分が勉強会に参加したりレッスンを受けたり、会議をしたり飲み会をしたり。
さらに、動画を編集したり文章を書く機会も増えました。
人と直接会う機会は間違いなく減りましたが、それがコミュニケーションの減少か、と言われれば決してそういうわけではありません。どのような手段であってもそれは手段でしかなく、そこには人と人とのつながりがある、ということを強く感じます。
とはいえ、やはり代替手段感は否めません。オンラインで会うのか直接会うのか、選択肢がある上で最適なものを選べるように、早い収束を願うばかりです。

今年の年明けに書いたつぶやきの中に、「アウトプット」という言葉がありました。
こんなことを書いたことはすっかり忘れていましたが、「インプット」と「アウトプット」は1年間常に意識の中にあったように感じます。と思うと、ちょっと進歩ですかね。
「演奏」というアウトプットだけは全く出来なかったのでそれだけは心残りですが、その分自分の声に向き合う時間がたくさん取れたので、次の舞台を楽しみにしておきたいと思います。

まずは健康が一番、何よりも大切です。元気があればなんでも出来る!って言ったのは誰でしたっけ。
今年はマスクと手洗いうがいのお陰で大きく体調を崩すこともなく、無事に1年間元気に走り続けられました。
来年もこのまま引き続き、免疫力を下げないようにしっかり食べてしっかり寝ます。
皆様もどうぞ息災にお過ごしください。

records


2020.12.08 written by Kikawa 息を吸って横隔膜を張る?

「 息を吸って横隔膜を張る? 」

最近はインターネット上にたくさんの発声に関する情報が並ぶようになりました。
感覚でなんとなく歌うだけでなく、きちんと理にかなった方法で声を出せるようにするためには、こうした知識を元に身体の使い方を学ぶことは大変有意義なことだと思います。(そしてこの文章にアクセスしてきた皆さんもきっと勉強しようと思ってたどり着いたのでしょうね。素晴らしい!)
ただ、インターネットに書かれている情報が全て正しいかというと、それはまた別の話。整えられたレイアウト、見やすい解説図。あたかもこれが正しい!と書かれているけど、意外とこれ合ってる?というものは多いように見受けられます。

今日はよく見られる「息を吸って横隔膜を張る」というワードについて。
正しそうに感じられて、実はちょっと違っているかもしれないこの考え方。
これについてちょっと呟きたいと思います。


ちょっと考えたいのが「息を吸って」「横隔膜を張る」というこの順番。
なんかこの表現だと、まず最初に空気が身体の中に入ってきて、それによって横隔膜が押されているようなイメージを持ちませんか?
よく「お腹が内側から押し出されるように」とかも言いますね。
まるで息が吸われることによって横隔膜が動いているかのような表現ですが、これは誤り。
空気が先に動くわけではなく、身体が先に動く。それに合わせて空気が動くというのが正しい順番です。


空気が身体に入ってくるのは、「横隔膜が収縮して下がり、合わせて肋間筋の働きによって胸郭が広がり、それによって肺が広げられるから」です。
これら筋肉の働きによって肺の中の気圧が下がります。この気圧の変化が重要なポイント。
気圧差が生じると、空気は高いところから低いところへ向かって動きます。

自分の周りの空気圧 > 肺の中の気圧

この状態になることで、空気が肺の中に流れ込んでいきます。これがつまり吸気になるわけです。

息を吐く時はこれの反対。横隔膜が上がり、胸郭が萎んでいくことで肺が縮められ、自分の周りの空気の気圧よりも肺の中の気圧が高い状態を作ります。

自分の周りの空気圧 < 肺の中の気圧

筋肉を使ってこの状態を作り出すことで、空気が肺から外へ向かって流れていきます。その息の通り道の途中に声帯があって、声はそこで生まれるわけですね。

「息を支える」「横隔膜を張る」というのは、このような息をコントロールする時に生じる感覚を指す言葉です。
言い換えると「しっかりと息を吐く」もしくは「息を吐きすぎないように」ということになるでしょうか。要は今と違う息のコントロールを求めて、こういう表現をしているわけですが、これらのちょっと曖昧なワードはどちらの意味合いでも使われているような気がします。
ちなみに「横隔膜」は筋肉なので、働く時は「収縮」します。働く時は下方向へ縮む動きになるので、「張る」というのは結構な思い込みワードです。
たくさん息を吸うと身体の中がパンパンになる感じがするので、そこから「張る」という言葉は来ているのだと思いますが、この誤った使い方のイメージが余計な力みを生んでいる可能性もあります。
(※あるいは、肋間筋の動きによって胸郭が動くことで横隔膜も動くから、それを指してるのかな……だとしたら「張る」でもいいのかな、と推敲していて感じます。言葉で発声を説明するのはとても難しい)

息を吐く時には常に横隔膜を下げたままキープしなければならない、というのはよく言われます。
実際私も少し前まではその方法でブレスをコントロールしようとしていました。
ただ、我々の到達目標は「横隔膜をキープすること」ではなく「常に安定しコントロールされた息を吐くこと」です。
先ほども言った通り、呼吸は外気圧と肺の中の気圧の差によって生み出されるものですから、「肺の中の息の残量」に応じて、適切に肺に圧力を与えることで私たちは一定の息を吐き続けることができます。
吐き始めこそ肺の中に大量の息があるので、横隔膜は低いままでも良いかもしれません。ですが、肺の中の空気が減ってきても同じように横隔膜を使おうとしてしまったら、横隔膜は肺に圧力を与えることが出来ず、萎んだ肺に対して更に圧力をかけ続けるのが難しくなります。
場合によっては横隔膜によって気圧のコントロールが出来ない代わりに、どこか別の場所を使って身体は息をコントロールしようとするかもしれません。それが余計な力みを生む原因にもなります。余計な力みは身体の自由を奪い、声の音色や音程のコントロールに悪い影響を与えます。

大切なのは、これだけしていればオッケーと思い込んで横隔膜を使いすぎていないか?固めすぎていないか?と自分に問いかけることでしょうか。
常に身体は状況に応じて、刻一刻と使い方を変化させなければいけないのです。
ああ、「言うは易し」とはまさにこのこと……私も日々研究中です。

records


2020.10.01 written by Kikawa Re:Set

「 Re:Set 」

規定値に戻す。セットし直す。再起動する。
元の場所に置く。骨を整骨する。宝石をはめ直す。活字を組み直す。

と、「Reset」を手元の英和辞書を引いてみる。

さて、では「Set」で調べてみると、

置く。はめ込まれている。位置している。配属する。〜の状態にする。・・・多い。
(心などを)集中させる。というのは、今の気分にぴったり。




時間を作って、近場の温泉旅館へ行きました。
「1泊2食付き」、随分と大盤振る舞いしたものです。
Booking.comで良さそうなところを探して、ピンと来たプランを予約したのですが、貸切露天風呂もついているプランということにチェックイン時に気が付きまして。

大浴場で温泉は十分と思っていましたが、いざ貸切露天風呂なるものに入ってみると、これは大変良いものです。
頭の中に「Reset」という単語が思い浮かびまして、冒頭に戻るわけです。

仰向けに天を仰いで風呂に浸かっていると、まるで脳がOSを再インストールしているような気分。
過去からも未来からも切り離されて、今この瞬間に全身の感覚が集中しているような。
今この瞬間を手放すのが惜しくて、今に集中し続けている状態。他のことを考えよう、と思っても、「今」という重力に強く引き込まれる趣き。一種の迷走、、じゃなくて、瞑想状態に近いものなんでしょうか。
一昔前はあまり旅行することに重い腰が上がらなかったのですが、みんなこの時間を求めて旅をするのだなあ、ということがわかる御年頃になってきました。

旅は良いものですね。今はあまり状況が芳しくないですが、時世が許されるようになれば遠出もしたいものです。
普通に演奏出来るようになる頃には、きっと遠出も出来るはず。

先日ふと考えてみたら、2020年は一度も人前で演奏しないことになるかもしれないことに気づいて、変な汗が出ました。高校生で歌を始めてから、1年で1度も舞台に立たないのは初めてです。
生の演奏の場が早く戻ることを願うばかりです。

records


2020.05.31 written by Kikawa やる気が貴重なのか、時間が貴重なのか

「 やる気が貴重なのか、時間が貴重なのか 」

日常が非日常になってから早数ヶ月。
ルーティーンから強制的に押し出された毎日は、時間がいつもよりあるようなないような、新たな体験でした。

決まり切った日々のサイクルにおいて、その中で自由に使える時間は限られています。
一方で、裁量の範囲が狭いということは、管理がしやすいという事でもある。ということに気付きます。

学生の頃もフリーの頃も、スケジュールは基本的に自分で全て組み立てるものでした。
毎日同じ時間に仕事が始まるわけじゃないし、毎日同じ場所へ行くわけじゃない。1日として同じ日はないわけで、「勉強しない!」「働かない!」と決めたら、まあある程度そうすることが出来るわけです。
一方、基本的に仕事に使う時間が先にスケジュールに入っていて、残った時間を色々と工夫するようになったこの数年は、時間に対する向き合い方が変わると同時に、これまで以上に時間の貴重さを感じる日々でした。
が、いざ求めてやまなかった時間がたくさん手に入ると、今度はうまくそれを使えない事実に直面します。
いつものような狭い時間であれば、「今しか出来ない!」という追い立てられるような勢いで色々とこなすことが出来るのに、今はたくさん時間を使った割にはイマイチ進捗状況が良くない。
ああそうか。時間をうまく使うためには、それよりもまず先にやる気を操縦出来ないといけないんだ、と。
(仕事に使う時間の見積もりが立てづらいのもあるかもしれないけれど)

やる気自体をコントロールするために、まずは気が散らない環境作りが重要。ということをそういえば前に読んだなあと思い出し、再読。後に大掃除。
合わせて、内面からのコントロールのために何か出来ること……と調べ、瞑想を始めることにしました。

やる気。
集中力に言い換えられるのだろうか?

数年前に、「集中力を向上させるためには?」という問いを立てたときに、マインドフルネスについて調べ、何冊か本を読んだ時期がありました。「やる気」と「集中力」が同じものかどうかさておいて、集中力が増すことは実感としてあったので、これを機に少し自分のものにしてみようと考えました。

今回は瞑想用のアプリをダウンロード。
何事も新しいことは続くタイプなので(そしてしばらく続くのにふと忘れたらやらなくなる)、しばらく続ける予定です。

多い日は日中に1セッション、寝る前に1セッション。
最初こそ、横になって目を閉じるとあっという間に爆睡していましたが、1週間を過ぎる頃にはきちんと全部出来るようになり、むしろ夜は目が冴えて眠れなくなる謎の期間を経て、今はようやくバランスが取れるようになりました。

日中に仕事をばーっと進めて、エネルギーが枯渇したなと思ったら瞑想する。
そうすると、またちょっとエネルギーが回復するような気がします。週の後半はどうしても疲れを多く感じるので、そのままちょっと15分くらい寝ることもあります。

いつも上手に自分をコントロール出来るようになりたいものです。

records


2020.02.24 written by Kikawa 3月・4月公演中止のお知らせ

「 3月・4月公演中止のお知らせ 」

3月3日に出演を予定していた演奏会「Premium Concert 夕闇に冴えかかる旋律の春風」が、昨今のコロナウイルスの影響のため、公演中止となりました。
また、同様に4月2日に開催予定だったmu-ship主催公演「遥かなる夢の調べも、延期させていただくこととしました。(こちらの詳細は追ってmu-shipのホームページでご案内いたします)

未知の脅威には十分な警戒が必要だと私は思いますし、我々の責任において出来る最善を考え、このような結論となりました。
楽しみにしていてくださったお客様には本当に申し訳ありませんが、また安心して観賞いただける時期を設定し、公演を行わせていただきたいと思います。

この件に関して何かお問い合わせがありましたら、こちらよりご連絡をお願いいたします。
くれぐれも皆様、ご自愛ください!

records


2020.01.06 written by Kikawa 2019 → 2020

「 2019 → 2020 」

新年あけましておめでとうございます。
年々時間が経つのが早くなっていく今日この頃。皆様如何お過ごしでしょうか。

2019年は記念すべきmu-ship旗揚げの年となりました。
4月の演奏会を皮切りに、構想初期に掲げた目標である年間3回の演奏会の企画を無事に達成出来たことを、まずは嬉しく思います。
今年も昨年より更にクオリティを上げて、そしてまた何か新しい試みに触れられたら、と色々妄想中。
折角やるからには自分も楽しめて、周りの人にも楽しんでもらえるようなことをしないとですからね!

年始に友人と「アウトプット」について話をしていました。
アウトプットは「インプット」の反対語。
学習においてはインプットは知識を自分の中に蓄えること、アウトプットはそれを説明したり実践で使用することを指します。
学びの上でのアウトプットの重要性は昔からよく言われています。
自分が学んだことを人に教えることで自分の定着度も上がる、ってやつですね。

ただ、アウトプットを最優先に考えるのはちょっと問題で、良いアウトプットのためには、まず死ぬほどインプットする必要がある、というのは友人の談。
確かに言われてみればその通りで、結局きちんとアウトプット出来ているのはしっかりインプットしたことばかり。
インプットについても意識的に取り組む必要性を改めて感じる年明けです。

学習におけるアウトプットとはまた別の話として、仕事における「アウトプット」についても考えたいお年頃。
仕事におけるアウトプットは「成果を出す」「結果を出す」といった類のものです。
自分が出来ることは目に見える形で(耳に聞こえる形で?)アウトプットしないと、誰にも何も伝わらない。ということを改めて考えて、2020年も挑戦していきたいと思います。
まずはそうですね、色々なものの更新の頻度から……。

records


2019.12.05 written by Kikawa イタリア語の勉強のための参考書・辞書をまとめてみる

「 イタリア語の勉強のための参考書・辞書をまとめてみる 」

いやあ、語学。
語学の勉強って、大変ですよね。わかります。わかりますとも。

イタリア語、どんな本を使ってどんな勉強をすればいいのかわからない!
という後輩の嘆きを立て続けに聞き、彼らにアドバイスをするためにもちょっと一回自分がどんな勉強をしてきたのかまとめてみようかと立ち上がった昔の記事を発掘してきたので、多少手を加えてもう一度公開することにしました。

まあ、私もそんなにイタリア語出来るわけじゃないんですけどね。
勉強していない人よりは出来る。イタリア語検定3級はたぶん大丈夫。それくらいです。
でも、これらの教材をしっかりやり尽くしたら準2級くらい取れないかしら。無理かしら。

————————-

■目次

  1. 問題集
  2. 文例集
  3. リスニング用
  4. 辞書・単語帳
  5. その他

————————–

・問題集

しっかり身につくイタリア語トレーニングブック
入江たまよ 著

問題量も豊富で、この1冊を繰り返し解けば基本的な文法はマスター出来ます。
私が学生の頃は紙のものしかありませんでしたが、今では電子版も出ているので持ち運びも簡単に。
最近Kindle版を買い直しました。

ちなみに著者の入江たまよ先生はNHKの「まいにちイタリア語」でも講師を勤めていた方です。
とてもためになる楽しい講座だったなー、という記憶があります。

一点、上の本は解説の面が少し薄いので、

しっかり学ぶイタリア語 文法と練習問題
一ノ瀬俊和 著

独学に使うには最適で、かなり詳しく文法の解説が載っています。レベル的にはたぶん3級まで通用するくらいで、「トレーニングブック」と同等のレベルまで対応しています。
上の本と比べたら解説が多めで、その分練習問題が少ない、と考えれば大丈夫。
先生がいるのならこちらの本はなくてもいいかもしれませんが、一人で勉強する時間が多いなら、やっぱりあったほうがいいかもしれません。
さらに詳しい文法書も出版されてますが、最初のとっかかりとしてはちょうど良いレベルかと思います。

・文例集

私がイタリア語の勉強をしていて、次に必要だと感じたのは、短文の作成能力でした。
これはイタリア語検定を受けようと考え始めたこともあったからなんですけど、とにかくまずはたくさん短い文章に触れて、出来れば覚えて使いこなせるような文例集が欲しい、と思ったのを覚えてます。

NHKイタリア語 書ける! 話せる! 実用文例800
木下太郎 著

NHKと付いている通り、これはもともとNHKラジオイタリア語講座応用編「太郎・カロリーナの表現力養成講座(1999年1月〜3月)に放送された練習問題をまとめたものだそうです。
(「はじめに」に書いてあった)

テーマが52個あって、その中でだいたい15-20弱くらいの文章が掲載されています。
例えば第1課は「好き・嫌い1」となっています。
1つの課は4ページで構成されていて、最初の2ページは基本表現。後半2ページは応用練習です。

基本表現の見開きの左ページには

〜が好き a + 人 + piacere + 主語
〜するのが好き ・・・
〜が嫌い ・・・
〜を愛する ・・・
〜を憎む ・・・
〜に夢中だ ・・・

(・・・のところはちゃんと使い方書いてあります)

これに加えてさらに短い日本語の例文が掲載されています。
上の例だと例文は

私の姉はイタリアが好きです。
私はイタリアが好きです。
私は旅行をするのが好きです。


みたいな感じ。
ワンポイント解説や語句の掲載もあります。

これが左のページで、右のページには例文のイタリア語訳。
なので、左のページを見てイタリア語訳して、右のページを見る。という使い方が一般的なのかなと思います。

ページをめくった応用練習のほうには、これらの表現を用いたちょっと複雑な例文が掲載されています。
例えば、

私はローマでは、ミケランジェロが設計したあのルネサンス様式の広場が気に入りました。

こんな例文です。結構難しい。

ページレイアウトは基本編と同じなので、左に日本語、右にイタリア語です。
私はこれらの文章が、和訳を見てイタリア語訳出来るようにひたすら覚えました。
ひとつの例文につき、できなかったら10回書いて、それでも覚えられなかったらまた書いて。
最初は1日5〜6ページくらい、1〜2時間くらいやって、1ヶ月で1冊通るくらいのペースでやったんだったかな。
ついでに、これがスラスラと読めるように音読の訓練にも使いました。
たしか学部3年の時だったと思いますが、これをやってからイタリア語が一番勉強しやすい、と思えるようになったのを覚えてます。
CDがあれば最高だったんですが、残念ながら音声はありません。それだけが残念なところですが、文章作成のとっかかりとして、超超オススメしたいです。

残念ながら今は絶版の様子。アマゾンでも中古しかありません。
この本が電子化されて、尚且つ音声つきになったら最高なんですけどね。

この本と同じような感覚で使えそうなのがこちらの本。

口が覚えるイタリア語 スピーキング体得トレーニング
森口いずみ 著

2枚組のCD付き文例集です。Kindle版を買うと「オーディオブック」というアプリで音源をダウンロードすることが出来ます。
このアプリ、再生速度が変更できるのが大変有能で、もう勉強が終わってる文例は1.5倍速で流す。まだスラスラと口から出てこない文例は通常の速度で流す、という聴き方が可能です。
この教材を使い始めたのは結構最近ですが、簡単な作文がスラスラ出来るようになってきました。
読んだら日本語に訳さなくてもわかる程度の文章ですら、いざ何もないところから作文しようと思うと固まる時間が長かったので、その時間が短くなってきたのは大変喜ばしいです。

日記を書いて身につけるイタリア語
張あさ子 著

さらにステップアップとして自主的な作文をしようと思った時に、日記は使いやすいです。
この本は文法の解説も一通り収録されていて、日記だからでしょうね、特に時制の解説が詳しく載っていますが、現在形などの解説はすっ飛ばしてるのでこれだけで勉強するのはちょっと難しいです。


次に、大量の構文。とはいえ難しいものというわけではなく、例えば

学校へ行く andare a scuola

みたいな文章です。
こんな簡単なやつかよ!とか思うかもしれませんが、意外と日本語だけ見ていると、前置詞に a を使うのか in を使うのかわからなくなったりするんですから!
これがつまり、訳せるけど書けないっていうレベルなんですよ! 人のこと言えないけれども!

こういうのはもう、ひたすら使うしかないんですよ。もうリズムで覚えちゃう。考える前に出てくるように、繰り返す。
ひたすらにぶつぶつと「あんだぁれあすくぉおらあんだぁれあすくぉおら」と唱え続けましょう。

こういう短い構文の嵐を抜けると、次に短文の作成例が出てきます。後半くらいのレベルになると、訳すのは簡単だけど、作文するのは難しいと感じる文章が多くなります。
この本を使って、自分の中でおきまりのフレーズを幾つか作っておけば、それで単語数は十分。イタリア語検定3級の作文くらいは楽々突破できるはずです。


・リスニング用

耳が喜ぶイタリア語
ジョヴァンニ・アモレッティ 著

この本を使い始めた当時は、正直ものすごい難しさにたまげました。
たしか第1章がイタリア語検定5級、2章が4級、3章が3級レベル、という紹介文句だったんですけど、いやいやいやいやいや、難しいよ。
3級受ける予定だったのに、第1章からして全然聞き取れませんでしたもん。文章見れば意味はわかるんですけどね。

でも、イタリア語検定のリスニングってかなり難しい、というか早いんですよね。
「実用イタリア語検定」の名にふさわしく、5級あっても実用を求めているため、リスニングで喋る速度は相当早い。手加減なし。というのをたしかどこかで読んだ気がします。たしか。たしか。
そう考えると、あながち嘘でもないのか……?
いや、それでもやっぱり文章自体も難しいと思います。検定のレベルにあってるのは文章の長さくらいなもんだと思われます。
ついでに、長文読解用の練習にしてもグッドなはず。

ちなみにこの記事を書き直すにあたって調べたところ、現在は改訂版になっていました。STEP3の内容が時代に合わせて変更されたとか。

ニューシネマパラダイス

いや、ここはNuovo Cinema Paradisoと表記するべきでしょうか。
言わずと知れた名作ですね。
でも、リスニングの勉強だ!と思って見るとちょっと疲れちゃうんですよね(遠い目
映画は楽しく観たいと思うと、私はあんまり向いてなかったかもしれません。
もう少しリスニングに余裕が出てきたら、映画も楽しく見られるかも。

・辞書・単語帳

ところで。
忘れてました。辞書。
これが何よりまず最初に買わないといけないアイテムです。

とはいえ、イタリア語はあまり選択肢がないです。
「ポケットプログレッシブ伊和・和伊辞典」か「伊和中辞典」か、でしょうか。

ポケットプログレッシブ伊和・和伊辞典

伊和中辞典

ポケットプログレッシブは持ち運びには便利ですが、本格的に勉強に使うなら伊和中辞典一択です。
特にイタリア語を専門にするつもり、あるいは声楽家になろうとするならここはケチれません。残念ながら。

ただ、伊和中辞典はいい値段がします。
なので、個人的におすすめするのは、アプリ版です。

伊和・和伊中辞典 – 物書堂



iPhoneなら上の辞典が使えます。開発している「物書堂」さんは、Macのソフト開発専門の会社だそうで、残念ながらAndroid版はありません。
内容は伊和中辞典そのままに、お値段はちょっと安い。それでも5000円弱するんですけどね。稀にセールがあります。

ポケットプログレッシブは3000円強、紙の伊和中辞典は7000円強なので、ちょうど中間くらいですね。
紙の辞書もあったほうがいいとは思いますけど、安さと内容を重視するならこれが一番です。
実際、私は今これしか使ってません。辞書持ち込み可の試験とかは、紙辞書しか使えないですが。

それから単語帳も必要だと思います。
これは大学院に入ってから買いましたが、やはり語学は語彙が命。

イタリア基本単語帳
秋山余思 著

まあ、はっきり言ってキャッチーではないです。今時のフルカラーとかではありません。
覚えやすく種類分けとかもされてなくて、要は掲載数の少ない辞書みたいな感じで、
重要な単語がアルファベット順に並んでいるだけです。が、ここにある単語を全部覚えたら大分辞書なしで読めるようになります。全部覚えてなくても効果は感じました。
収録されている単語は確かに頻出のものだと思いますし、覚悟を決めて取り組めば確実に成果が出る類の単語帳だと思われます。

私もこれを書いていて思い出したので、しばらくぶりにやり直そうかと思ってます。相当忘れてそう。
私は最初、まず単語を覚えて、次に例文を日本語からイタリア語に直せるように練習しました。
文例集で紹介した本に近い使い方ですね。

・その他

そういえばこんなのもあったという本をピックアップ。

Dolce italiano
Allessandro Giovanni Gerevini 著

イタリア語のエッセイ。
中くらいの長さのエッセイが20編収録されているのですが、左ページがイタリア語、右ページが日本語。
それらはもちろん対応関係を持っているのですが、これはまず日本語で書かれて、それを著者自身がイタリア語訳したものなんです。
ん、著者イタリア人やん。みたいな。え、本当にイタリア人なの??
このアレッサンドロ先生、恐ろしいほど日本語が上手です。本当に、文章作成力は我々ネイティブとまったく変わりません。我々とか言っちゃいけない。たぶん私より文章力高いです。
内容はとてもキュートで面白い。ですが、結構難易度は高めです。今でも私はサラサラとは読めませんし、単語の意味をひいてもうまくイタリア語から日本語に訳せない部分がたくさんあります。
これがささっと読めたらきっと上級者。頑張ろう。
第2弾も発売されています。

パーネ・アモーレ イタリア語通訳奮闘記
田丸公美子 著

最後は完全なる日本語の本。終着点が思いっきりズレてしまいましたが、これもまたよし。
イタリア語通訳の田丸公美子さんという方のエッセイ。これがまた面白いのですよ。本当に。
通訳をしながら体験した面白話や、修行時代の話。仕事であったイタリアの著名人の話などなど。
もちろん苦労話あり、ちょっとほろりとくる話もあり、もう、こういう文章センスのある人本当に尊敬します!
こういう風に楽しい文章書けるようになりたいものです。

—————–

以上。
まだ紹介していないものもあるにはあるのですが、これだけあれば一通りの勉強(と息抜き)には困らないのではないかと!
それにしても、結構大量に持ってるもんですね。参考書って。
そりゃ、本の置き場所にも困るってもんです。

もしオススメの教材があったら教えてくださいませ。
ではでは。勉強頑張りましょう!