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2023.04.24 written by Kikawa 相対音感のためのオンラインレッスン
以前あげた記事で、実験的にオンラインレッスンを試みていることをお知らせしましたが、具体的にどのようにレッスンを進めているかご紹介します。
の前に。
基本的にはその人その人のレベルに合わせた課題設定を心がけていますが、すべてに共通するのは「階名感覚を養う」ということです。
「階名感覚」というのは、「ド」は「ド」らしく。「レ」は「レ」らしく、というもの。
例えば長調における「ド」であれば、どっしりとした感覚があります。音楽の始まりと終わりを司っています。
「レ」であればちょっと躍動していて、「ド」や「ミ」など、他の音に向かって向かっていくエネルギーを内包している。のような。
もちろん単純に一言で感覚を表し切れるものではありませんし、こんな話をすると「難しそう」と思われそうですが、実際にレッスンの中ではこのような話はあまりしません。
やっていればなんとなくわかってくるかもしれないもの、と気楽に考えてください。
こうした階名感覚は外から与えられる情報ではなく、さまざまな旋律を階名で歌いながらその人の中で培われていくべき感覚です。それが階名に色を与え、その人の「音楽の個性」に波及します。
私自身も訓練中ですが、やればやるだけ色々なものが感じられるようになりますし、ソルフェージュを訓練する意味も見出せるようになりました。
さて、具体的にどのように進めるか、一例をご紹介します。
1. 真似して歌う
自力で音程を取ることが難しい人は、まずは模範唱の真似から始めます。
真似が出来るようになったら基準音を変えて、1人で歌えるかどうかを試します。
有名な童謡など、ごく簡単な曲を歌うこともあります。
2. 指定された階名を歌う
基準音(大抵の場合はド)を示した上で、「レ」の高さや「ミ」の高さを歌ってもらいます。
基準音はくるくると変更していきます。
3. 階名の羅列を歌う
例えば「ドレファミソ」「レファラソミ」のような階名を示し、それを歌ってもらいます。
4. 和音練習
例えば「ドミソ」や「ドファラ」といった和音を声で作ります。
Ⅰ度→Ⅴ度→Ⅰ度、の進行だったり、Ⅰ→IV→V→Iの進行など、定番の進行をこれまた基準をくるくると変更しながら声で作ります。
和音の練習は、本来であればお互いの声を重ねるなどの練習をしたいところですが、Zoomの特性上ちょっと難しさを感じる部分があります。対面であれば、私が歌っている音を「ド」として「ミ」や「ソ」を重ねてもらって、重音の感覚を養うこともしています。生徒側をミュートにすれば出来ますが、そうすると私が同時に正誤判定出来ないのが困りもの。
このあたりの練習では譜面は用いません。まずは階名と耳の感覚を養うことに集中します。
こうした練習に慣れてきたら少しずつ、視覚情報と階名を結びつけられるような練習を追加していきます。
5. 一線譜〜四線譜での練習
すでに固定ドで音楽を長く続けている場合、五線譜を用いるとどうしても固定ドの読み方が邪魔をしてしまいます。
固定ド実施者にとって、階名唱導入のハードルの高さはここにあります。
また、楽譜自体初めて読むという場合も、いきなり五線譜での読譜はハードルが高い!
そのため、読譜練習は線の少ない楽譜から行います。
調号は用いずに、「ド」の位置だけを示し、それを基準として階名を読んでいきます。
固定ドでの音楽経験が長い場合は、すぐにこれで歌う練習になると思いますが、楽譜を読むこと自体の経験が少ない場合は音程をつけずに階名を読む練習もします。
また、習熟度によっては以下のようにリズムの要素を省くこともあります。
6. 五線譜での練習
ここまで慣れたら五線譜での練習に入ります。
同じ旋律を様々に移調して歌います。リズムに関しても読み取れるように訓練をします。
他、こちらが歌った旋律を書き取る練習なども必要に応じて行いますが、基本は「受講生が歌う」ということを念頭においたレッスンです。
レッスン全体を通して楽器は使用していません。
模範や基準音はすべて私自身が歌うことで示しますし、受講生もレッスン中に自分で楽器を使って音を確認することはしないようにしてもらっています。
自習の際はもちろん楽器を使っていただいて構いませんが、使い方には十分気をつける必要があります。
2023年4月現在は実験中ということで30分1,500円でレッスンをしています。2〜3名のグループでのレッスンも検討中です。
こちらのホームページにはコメント機能はないので、もしご質問があれば直接messageからお知らせください。(messageの部分がリンクになっています)
質問が多くあるようなことがあれば、まとめて質問のページを作ろうと思います。
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2022.10.06 written by Kikawa オンラインレッスンはじめます
このessayのページでしばらく更新していましたが、
私は音名と階名を切り分けて、相対音感に注視するソルフェージュレッスンを行っています。
なぜ絶対音感ではなく、相対音感なのか。
それは、音楽が「音と音が相対的に結びついて人間の感覚に働きかけるもの」であり、絶対的な音の高さよりも、相対的な音の関係性の方がより重要視されるべきだからです。
例えばカラオケでキーを変えたとしましょう。
確かに雰囲気は変わりますが、キー変更によってその曲がその曲でなくなってしまうことはありません。
それは、音と音の関係性が保たれているからです。
音同士の関係性が保たれている限り、その音楽は本質を失いません。
そして、相対音感を訓練するソルフェージュとは、その本質を捉え、操れるようになるためのものだと考えています。
訓練のツールとして、「階名」を用います。
階名とは、音階につけられた名前を指します。言葉としては誰もが馴染みのあるであろう「ドレミ」を使用します。
ただし、ここでいう「ドレミ」は、特定の高さの音を指しません。
どのような高さの音でも「ド」と定義します。そしてそこから、音を連ねていく訓練をします。
巷では「移動ド」と呼ばれることが多い手法です。
レベルは受講生に合わせて対応します。
こういった練習が全く初めての人は、まずは歌い真似から始めて、次第に頭の中に「音階」を構築出来るように訓練していきます。
同時に、さまざまな楽譜を用いて「移動ドで音楽を読み取る方法」を学んでいきます。
合わせてリズムの読み取りも訓練します。
レッスンの第一目標は、
・自分で楽譜を読んで音を取ることが出来るようになることです。
これが出来るようになれば、自分のペースで新しい曲を好きなように勉強することが出来ます。
音大受験準備等は現時点ではオンラインではお引き受けしない予定です。
受験生であったとしても、それとは別にレッスンを受けたい、という場合はもちろんOKです。
企画自体立ち上げたばかりなので、とりあえずにはなりますが、
レベル関係なく、料金は一律、30分1,500円、支払い方法はPayPayを使用する予定です。
基本的には一回ずつのお約束ということで、1回だけやってみたいも全然OKですし、やってみてから続けるか決めるもOKです。
おそらく私の都合で、毎週特定の時間にお約束することは難しいような気がします。
レッスンにはZoomを使用します。
画面に資料を写して使用することもありますので、スマートフォンよりもタブレット端末やPCから接続できた方が便利ではあるかと思います。
課題はまずは私が作成したものを使用しますので、準備いただくものはありません。
プリントアウト出来るようでしたら資料をお送りしますので、手元に印刷していただけると便利かと思います。
定期的にある程度の期間レッスンを希望される場合は課題集を購入していただいた方がメリットが大きいので、その際にご案内します。
レッスンの希望、質問などあればホームページの上にあるmessageからご連絡ください。
質問いただいたものやレッスンの様子など、追記できるものがあればまたここに追記していきます。
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2022.09.21 written by Kikawa 伝わる・揺さぶる!文章を書く

タイトルからしてもちろん「文章の書き方」に関する本ですが、文章を書くとはすなわち言葉を紡ぐことであり、それは人と言葉を交わすコミュニケーションにおいても重要なスキルであると考えます。
自分が書いているこの文章は、読む人にどのような考えをもたらすことが出来ればその機能を果たしていると言えるのか。私が書いているこの文章は、この本に興味を持ってもらうことがゴールでしょうか。
本は5章で構成されています。
第1章では「機能する文章を目指す」ためにはどのような要件を抑えれば良いのか、第2章ではそれらの要件についてどのように考えれば良いのか、第3章では実践編として日常生活のさまざまな場面で表れる文章を、第4章ではより高度なテクニックを、そして最後の第5章ではコミュニケーションについて書かれています。
何か文章を書くときに、道筋に迷ってしまう人。どう文章を広げていけば良いのか困ってしまう人にオススメ出来る本だと思います。
文章を書くのは自分の内面と向き合うようで、私はとても好きです。が、昔の方が勢いよく色々書けたな、とも感じます。
文章を書くことについて、また改めて考えてみたくなりました。
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2022.08.20 written by Kikawa 筆不精
すっかりな筆不精です。
演奏会のお知らせをしたきり、すっかりそのままだったのでちょっと振り返り。
・Spring Concert
赤いピアノが印象的な、東久留米市役所。
おそらく人前で歌うようになったのは小学4年生か5年生くらいからだったと思いますが、そこから考えてもこんなに舞台に立たない期間が長いのは初めて。
職業演奏家ではありませんが、「歌う」という行為は私にとって切り離せないものだな、と思い至る舞台でした。
日本歌曲とフランス歌曲、そしてオペラということで、私にとっても美味しいとこどりでした。
私は日本人ですし、やはり日本語という言語はとても美しい言語だと感じます。
機微が豊かで、母音がきちんと存在感を放つ言語。それでいて子音にも細やかなニュアンスを含ませられます。
いろいろな言語を学ぶ、その全てが日本語で歌うことに返ってくるような印象があるのは、すごく面白いです。
単に私が日本人だからというだけかもしれませんが。笑
そしてフランスの作品、今回はフォーレの歌曲でしたが、これもお気に入りです。
日本人、フランス音楽好きだと思うんですよね。ピアノ学習者にもドビュッシーとかラヴェルとか人気があると思いますし。
和声が醸し出すなんとも言えぬ香りともいいましょうか、同じロマン派と括ってもやはりドイツやイタリアの音楽とは異なる色合いがありますね。
共演した皆様も、本当に素晴らしい演奏でしたので、お客さまにもきっとお楽しみいただけたことと思います。
・MUSICAとりっぷる 〜イタリア編〜
こちらは同期と一緒に企画した演奏会。
この歳になっても一緒に何かが出来る、というのはありがたいこと。
そして、みんな本当に素晴らしい音楽家。一緒に音楽を奏でられることを幸せに思います。
私は前半にレスピーギ作曲の『森の神々』という歌曲集から抜粋して3曲を演奏しました。
声楽の勉強を始めると最初に手にするイタリア歌曲集をはじめとした古典〜ロマン派あたりの作品群は、
手を替え品を替え、よくもまあこれだけ恋愛ばっかり歌うな、と思う人は多いかと思いますが、笑
この『森の神々』という作品は少し毛色が違い、宗教的・哲学的内容を多分に含んでいます。安直に、『難解』と言える作品かもしれません。
古い価値観が新しい価値観によって覆い尽くされること。
これはいつの時代も、どんな分野においても起こりうることです。
キリスト教圏に住んでいるわけでもなければ西洋人でもない私にとっては、この作品をきちんと理解した!と言える日は来ないかもしれませんが、私なりに考えることの多い作品でした。
いずれ抜粋せずに全曲演奏出来れば良いな、と思い、その日まで温めておこうと思います。
後半の最初には歌劇『愛の妙薬』から、「人知れぬ涙」を。
テノールなら誰もが通り、そして誰もが挫折する曲です!と紹介させてもらいましたが、笑
今回演奏するにあたり、「ネモリーノというキャラクターは一体どこまでデフォルメされうるのだろうか、、」なんてことを考えていました。
現実に考えたら、よく言えば純真悪く言えばバカなんですよねネモリーノ。
物の価値もよくわかっておらず、ただのワインを惚れ薬だと信じて、凄まじい高値で2回も買い、それで「彼女が自分に恋をしているんだ!もう死んでもいい!」と盛り上がってしまうわけです。
このシーンが真面目であればあるほど、これまでとのギャップが面白い人物像になるわけで。そしてだからこそのオペラブッファ。
ただそれをアリア1曲演奏するだけでどう捉えれば良いのだろうか。おお、アリア1曲歌うってキャラクター作るのすごい難しいじゃん…。
という感じで、もやもやといろいろ考えていました。
この曲自体久々に歌いましたが、新しい気づきというか、気回しをたくさんする機会となりました。
同じ歌を歌っても、歌うたびに新しい学びがありますね。面白いです。
アンコールには「黒猫のタンゴ」を。
満席のお客様にお越しいただき、とても幸せな旗揚げとなりました。
MUSICAとりっぷるは今後も年1回くらいのペースで演奏会を企画する予定です。
次回のホールも奇跡的に取れて、日程も決まりましたので、準備が出来たらまたお知らせを出したいと思います。
ふう、ちゃんと振り返ったのでこれらの演奏会はおしまいです。
また次の演奏の機会へ向けて、気合を入れます!
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2022.04.18 written by Kikawa 演奏会のお知らせ
もう4月。本当に時間が経つのが早いです。
コロナ禍で演奏活動を自粛しておりましたが、このままだと本当に歌う機会がなくなってしまいそうなので、ちょっと踏ん張ることに決めました。
より感染予防を心がける毎日です。。
・Spring Concert
2022年4月24日(日)
17時開演
東久留米市役所1階 市民プラザ 屋内ひろば
(画像を押すと拡大します)
恩師、穂積磨矢子先生にお声がけいただきました。
元々1時間くらいのプログラムで、ということでお話をいただいた気がしたのですが、結局1時間どころじゃ済まなそうなボリュームです。
私は山田耕筰の「鐘が鳴ります」と、別宮貞雄の「さくら横ちょう」、それから、G.フォーレの「夢のあとに」と「ゆりかご」を歌います。
あと、プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』から第一幕のアリアと重唱を、ソプラノの太田絢子さんと演奏いたします。
先日5年ぶりに(!)お会いして、合わせをしました。
最後に会った時はまだ太田さんは受験生だったのですが、今や立派な大学院生ということで、月日の経つのはまっこと恐ろしいものであります。
コロナ禍ということもあり、ソロが中心の演奏会です。
入場無料で、お申し込みの必要もありません。
途中での入退場も可能な広場での演奏となります。
どうぞお気軽に足をお運びください。
・MUSICAとりっぷる 〜イタリア編〜
2022年7月10日(日)
加賀町ホール
(大江戸線牛込柳町駅より徒歩5分)
全席自由3,000円
(最大80席予定。感染状況により減席の可能性あり)
(画像を押すと拡大します)
ひょんなことから大学の同期で演奏会をすることにしました。
今回一緒に舞台に立つテノールの紀野とは仕事やら研究テーマやら共通するものが多く、ちょくちょく連絡をとっているのですが、随分と前のコロナが下火だった時期に食事に行き、「演奏しようぜ!」ということで企画を決め、その場にいた小林くんを巻き込み立ち上げました。その時は「さすがにもう来年の夏ならコロナも大丈夫でしょ」みたいな話だった気がしますが…。もう全く予想がつきません。
Trip(旅行)する様に、世界中のいろいろな音楽を演奏したいね、ということでMUSICAとりっぷる。
そして、せっかくならそれぞれの国ごとにプロフェッショナルを招こうじゃないか、ということで、イタリアで修行を積んだメゾソプラノの藤田さんにも出演を打診した結果、このような布陣と相成り、〜イタリア編〜とサブタイトルがついたのであります。
予定なら1年に1回、ドイツ編やらフランス編やら、向こう6年くらい継続する予定です。本当に出来るかな。笑
同期だから、という贔屓目をおいても、皆本当に素晴らしい演奏家です。
ぜひ足をお運びください。
お申し込みはこちらから。
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2022.01.23 written by Kikawa 2022年になって
この前に書いたつぶやきが、2020年の終わり。
一昨年の年末に悩まされていたことが、今でも悩みのタネであるとは、何とも悲しいものです。
このままの勢いで感染者数が増えていくと、来週にはコロナ前のインフルエンザ並の感染者数になるんだとか。
そんなに感染していたのか、インフルエンザ、とそちらもびっくりです。
体調崩すと、練習も出来ないわ声の調子も狂うわで後がすごく大変です。
なので、私、冬場は元々いつもマスクをして、手洗いうがいをしっかりしています。
ここ10年ちょっとはインフルエンザにはかかっていません。対策半分、運半分というところでしょうか。
この2年は気合を入れた防疫活動のお陰で、副反応以外で熱すら出ませんでした。
それでもインフルエンザにかかるよりは、コロナの方が怖い。
というのは、体調面(特に呼吸器にダメージは勘弁願いたい)もそうですが、社会的な影響も考えてしまうからでしょうね。あるいは、特効薬がないのも大きいでしょうか。
今年は演奏の機会をバシバシと作るつもりですが、こう感染者が増えていくとやはり不安です。
気兼ねなく人に会って、気兼ねなく歌える日が早く来てほしいなあ、と切に願います。
あけましておめでとうございました。もう2月になっちゃいますね。
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2021.01.18 written by Kikawa 野口体操入門 からだからのメッセージ

故・野口三千三氏(1914-1998)の身体哲学が元になって生み出された野口体操。別名・こんにゃく体操。東京藝術大学で長年教鞭を取っていた野口先生にこの体操を学んだ著名な音楽家は数知れず、現・東京藝術大学学長の澤和樹先生(ヴァイオリニスト)も、広報誌の中で「この授業がもっとも思い出深い授業だ」と述べています。残念ながら私が在学していた時には既にこの体操の授業はなく、実際に受けたことがある先生方から話を伺うたびに羨ましいと思うばかりでした。
著者である羽鳥操氏はその直弟子。この本ではどのようにして野口体操が生まれるに至ったのか、野口体操の考え方、具体的な動き方が書かれています。
野口体操の考え方は、「力を抜けば抜くほど力が出る。なぜなら筋肉は休んでいる時にしか新しく働き始めることは出来ないから」というものです。体操を通じて「重さ」と「はずみ」と「筋力」の関係性を感じられるようにすることで、よりパフォーマンスが向上すると考えられます。
こうした実技系の本は、本だけではどうしてもわからない部分が多くありますが、2020年になり、YouTubeに「野口体操ch」というチャンネルが作られました。著者の羽鳥先生が実際に説明しながら体操を実演してくださるので、本と合わせて参照すれば、脱力についてかなりの学びが得られます。
野口体操入門
野口体操ch 第1回配信「野口体操を紹介します!』
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2020.12.31 written by Kikawa 2020→2021

2020年が終わります。
あまりにもイレギュラー過ぎて、この1年が長かったのか短かったのかよくわかりません……。
実際に走っている間はとても長かったですが、年末恒例の「一年を振り返るテレビ番組」を観ると一瞬で過ぎ去ってしまったような感覚になりました。純粋に歳とっただけかもしれません。
感染症というものに対して、特に歌唱というものがこんなにも敏感にならなければならないものだと、これまで夢にも思ったことはありませんでした。
今年は年の初めに予定していた演奏会がすべてキャンセルに。
mu-shipとしても演奏の機会を窺い続けてはいましたが、感染者数の増減に怯えつつ、延期したり中止したり、そうこうしているうちに気がつけばもう大晦日。
思えば歌い始めてから、1年間人前で演奏する機会がなかったことはこれまでありませんでした。
今年1年を振り返ると、オンラインで出来ることがたくさん増えたように思います。
授業もしましたし、レッスンもしました。自分が勉強会に参加したりレッスンを受けたり、会議をしたり飲み会をしたり。
さらに、動画を編集したり文章を書く機会も増えました。
人と直接会う機会は間違いなく減りましたが、それがコミュニケーションの減少か、と言われれば決してそういうわけではありません。どのような手段であってもそれは手段でしかなく、そこには人と人とのつながりがある、ということを強く感じます。
とはいえ、やはり代替手段感は否めません。オンラインで会うのか直接会うのか、選択肢がある上で最適なものを選べるように、早い収束を願うばかりです。
今年の年明けに書いたつぶやきの中に、「アウトプット」という言葉がありました。
こんなことを書いたことはすっかり忘れていましたが、「インプット」と「アウトプット」は1年間常に意識の中にあったように感じます。と思うと、ちょっと進歩ですかね。
「演奏」というアウトプットだけは全く出来なかったのでそれだけは心残りですが、その分自分の声に向き合う時間がたくさん取れたので、次の舞台を楽しみにしておきたいと思います。
まずは健康が一番、何よりも大切です。元気があればなんでも出来る!って言ったのは誰でしたっけ。
今年はマスクと手洗いうがいのお陰で大きく体調を崩すこともなく、無事に1年間元気に走り続けられました。
来年もこのまま引き続き、免疫力を下げないようにしっかり食べてしっかり寝ます。
皆様もどうぞ息災にお過ごしください。
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2020.12.08 written by Kikawa 息を吸って横隔膜を張る?

最近はインターネット上にたくさんの発声に関する情報が並ぶようになりました。
感覚でなんとなく歌うだけでなく、きちんと理にかなった方法で声を出せるようにするためには、こうした知識を元に身体の使い方を学ぶことは大変有意義なことだと思います。(そしてこの文章にアクセスしてきた皆さんもきっと勉強しようと思ってたどり着いたのでしょうね。素晴らしい!)
ただ、インターネットに書かれている情報が全て正しいかというと、それはまた別の話。整えられたレイアウト、見やすい解説図。あたかもこれが正しい!と書かれているけど、意外とこれ合ってる?というものは多いように見受けられます。
今日はよく見られる「息を吸って横隔膜を張る」というワードについて。
正しそうに感じられて、実はちょっと違っているかもしれないこの考え方。
これについてちょっと呟きたいと思います。
ちょっと考えたいのが「息を吸って」「横隔膜を張る」というこの順番。
なんかこの表現だと、まず最初に空気が身体の中に入ってきて、それによって横隔膜が押されているようなイメージを持ちませんか?
よく「お腹が内側から押し出されるように」とかも言いますね。
まるで息が吸われることによって横隔膜が動いているかのような表現ですが、これは誤り。
空気が先に動くわけではなく、身体が先に動く。それに合わせて空気が動くというのが正しい順番です。
空気が身体に入ってくるのは、「横隔膜が収縮して下がり、合わせて肋間筋の働きによって胸郭が広がり、それによって肺が広げられるから」です。
これら筋肉の働きによって肺の中の気圧が下がります。この気圧の変化が重要なポイント。
気圧差が生じると、空気は高いところから低いところへ向かって動きます。
自分の周りの空気圧 > 肺の中の気圧
この状態になることで、空気が肺の中に流れ込んでいきます。これがつまり吸気になるわけです。
息を吐く時はこれの反対。横隔膜が上がり、胸郭が萎んでいくことで肺が縮められ、自分の周りの空気の気圧よりも肺の中の気圧が高い状態を作ります。
自分の周りの空気圧 < 肺の中の気圧
筋肉を使ってこの状態を作り出すことで、空気が肺から外へ向かって流れていきます。その息の通り道の途中に声帯があって、声はそこで生まれるわけですね。
「息を支える」「横隔膜を張る」というのは、このような息をコントロールする時に生じる感覚を指す言葉です。
言い換えると「しっかりと息を吐く」もしくは「息を吐きすぎないように」ということになるでしょうか。要は今と違う息のコントロールを求めて、こういう表現をしているわけですが、これらのちょっと曖昧なワードはどちらの意味合いでも使われているような気がします。
ちなみに「横隔膜」は筋肉なので、働く時は「収縮」します。働く時は下方向へ縮む動きになるので、「張る」というのは結構な思い込みワードです。
たくさん息を吸うと身体の中がパンパンになる感じがするので、そこから「張る」という言葉は来ているのだと思いますが、この誤った使い方のイメージが余計な力みを生んでいる可能性もあります。
(※あるいは、肋間筋の動きによって胸郭が動くことで横隔膜も動くから、それを指してるのかな……だとしたら「張る」でもいいのかな、と推敲していて感じます。言葉で発声を説明するのはとても難しい)
息を吐く時には常に横隔膜を下げたままキープしなければならない、というのはよく言われます。
実際私も少し前まではその方法でブレスをコントロールしようとしていました。
ただ、我々の到達目標は「横隔膜をキープすること」ではなく「常に安定しコントロールされた息を吐くこと」です。
先ほども言った通り、呼吸は外気圧と肺の中の気圧の差によって生み出されるものですから、「肺の中の息の残量」に応じて、適切に肺に圧力を与えることで私たちは一定の息を吐き続けることができます。
吐き始めこそ肺の中に大量の息があるので、横隔膜は低いままでも良いかもしれません。ですが、肺の中の空気が減ってきても同じように横隔膜を使おうとしてしまったら、横隔膜は肺に圧力を与えることが出来ず、萎んだ肺に対して更に圧力をかけ続けるのが難しくなります。
場合によっては横隔膜によって気圧のコントロールが出来ない代わりに、どこか別の場所を使って身体は息をコントロールしようとするかもしれません。それが余計な力みを生む原因にもなります。余計な力みは身体の自由を奪い、声の音色や音程のコントロールに悪い影響を与えます。
大切なのは、これだけしていればオッケーと思い込んで横隔膜を使いすぎていないか?固めすぎていないか?と自分に問いかけることでしょうか。
常に身体は状況に応じて、刻一刻と使い方を変化させなければいけないのです。
ああ、「言うは易し」とはまさにこのこと……私も日々研究中です。
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2020.12.07 written by Kikawa なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である

著者はWindows95の設計思想を作った方です。この本を読むと、1日の時間は等価値で流れていないということがわかります。精神的に余裕がある時の1時間と締め切り直前の1時間では、同じ1時間でもパフォーマンスに雲泥の差が出る、というのは私自身常々感じることであり、追い込まれると力が出ない性分な私は元々仕事は早めに済ませたいタイプ。それでもここまでのスパートをかけようと思ったことはありませんでした。まずはじめにプロトタイプを作り、残りの時間を使ってクオリティを上げていくという考え方は大変共感出来ました。演奏に置き換えれば、まず最初に暗譜で通して演奏できるようにした後に細かい部分を詰めて練習していくようなもの。この本を読むまで仕事の方ではあまり意識したことがなかったのですが、この本をキッカケに色々な仕事に余裕が持てるようになりました。
なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である